1998,10,30
渚の英雄伝説 −第54話−
フェザーン自治領主府。
レイが姿をくらませてから1週間になるが、それでフェザーンの政務が滞ることはない。
それはひとえにユイの活躍による所が大きい。
ペッタン、ペッタン、ペッタン。
執務室の大きな机に座り、楽しげにハンコを押しまくるユイ。政務に情熱をかたむける事の無いレイがためた書類なども、この際一気に通してしまおうという官僚たちの思惑により、同盟にある食品関連企業のM&Aやら、新たに開発された量産型ラミエルの受注契約などが次々と処理されていく。
ちなみにこのハンコ、DNA識別うんたらとかいう本人認証機能なるものがあるのだが、ユイとレイで共用できてしまうから意味はない。
コンコン
ノックの音が響くと同時に部屋に飛び込んでくる人影。
「ユイちゃんいるー?」 「・・・お邪魔します」
「あっ、マナさんとマユミさんだ。1週間ぶりですね」
仕事の手を休めて二人を出迎えるユイ。
「うん、そろそろシンジ君達が帰ってきた頃かなー、なんて思ったから顔を出してみたんだけど」
「ゴメンナサイ。まだ何の連絡もないの」
「そっかー、こっちも何だか探し疲れちゃった。フェザーン駐在任務がこんなにハードだなんて思ってもみなかったわ」
この1週間、物欲と食欲の思うままにシンジの捜索に費やした二人。確かにハードと言えなくもないだろうが、マナの表情が妙にツヤツヤしているのが印象的である。
「マナさん・・・なんだか太った感じがする」
「うそっ!えーっ、そんなぁー」
「あれだけ食べれば当然です」
「うー、やっぱり昨日のディナーに食べた食用リリスがきいたのかなー?白くって、フワフワしてて、まったりとした舌触りが最高においしかったんだけど、カロリー高そうだったもんねー」
思い出しているのであろう、目がトロけている。
「うっ、アレってそんなモノだったんですか。確かにおいしかったけど・・・」
思い出してしまったのであろう、おもいっきりイヤそうな顔をしている。
「ほらほらユイちゃん、マユミもやっぱり太ったでしょ」
話の切り替えの早さでマナの右に出る者はいない。マユミの肩を両手でつかむとグイっとユイの目の前に突きつける。
「・・・変わってない」
「えー!なんでよー。私と同じモノ食べてたのにー」
「量が違います。マナさん、私の皿から平気で料理を持って行ってたじゃありませんか」
「あれはマユミが食べないから、仕方なく私が食べてあげてたんじゃない」
「マナさんがいつも、私より速く食べ終えてるだけです」
「いつもマユミの方から食べろって言うクセに。無理矢理人の皿に手をつけるほど、いやしくないもん」
「あんな飢えた子犬のような目で見ていられたら、誰だってああします」
「それって、私がかわいいって事?」
「つくづく、幸せなヒトだと関心します」
ペッタン、ペッタン、ペッタン。
目の前の喧噪をモノともせず、再び仕事に専念するユイ。レイが帰ってくる前に、積み上げられた書類の山をすべて片付けるつもりである。
『レイちゃん、誉めてくれるかなー』
仕事がたまる度に姿を消せば良いことをレイが学習するのに、さして時間を必要としまい。
「碇君・・・なんだかヤつれた」
悲しそうな瞳でつぶやくレイ。
「そう思うなら、お願いだからコレをほどいてよ」
縛られ続けて1週間、いかに環境適応能力にすぐれたシンジといえども、この状況にはなかなか慣れることができない。
「ていうか、慣れたくないよ。こんなの」
「何?」
「いや、別にたいした事じゃないから。それより、そろそろほどいてくれないかな?」
期待のこもったまなざしでレイを見るシンジ。
「・・・絆だから」
伏し目がちに答えをかえすレイ。この1週間、二人の会話に進展はない。レイとの「絆」を否定することはシンジとしてもしたくはない。しかし、このままではマジにヤバイ。シンジの膀胱が悲鳴をあげているのである。
(1週間も我慢してたのか、見直したぞシンジ)
「綾波・・その・・ちょっとの間だけでもいいんだけど。そうしたら、また縛ってもいいから・・・」
それはそれで情けないものがある。しかし。
「ダメ」
「なんで?」
「この絆が消えたら、碇君も消えてしまう。だから、ダメ」
「大丈夫だよ、僕はどこにも消えたりしないから」
「碇君は前に1度、消えてしまったから。今の碇君が死んだら、もう代わりはいないもの」
いまだに帝国でのアノ出来事を引きずるレイ。
「そっかな、僕はたぶん3人目だと思うからとか言って、何事もなかったかのように物語は続いてしまう気もするけど。でも、そうするともうやる役が残ってないや」
ハハハと無理矢理冗談で場をなごませようとするシンジ。
「・・・3人目、それは、とても悲しい響き」
さらにブルーになっていくレイ。逆効果であった。
マズイ、何とかしなければ、と気ばかりアセるシンジ。
「でもこのままじゃ、綾波を抱きしめることもできないじゃないか・・・はぅっ」
ここ数日間の責め苦でいつも思っていた本音がツイ口からこぼれてしまった。普段の彼なら、こんな恥ずかしい言葉を口に出すことなど絶対にできないのに。
チラっとレイの方に目をやると、さっきまでブルーにうつむいていたのが、今は真っ赤な顔をしてうつむいている。この場合、下から見上げるシンジとモロに目が合う事となる。
あわてて真っ赤な顔で視線をさまよわせるシンジ。さっきとは違う意味で、息詰まるような緊張感に場は満たされる。
キラリ
シンジの身体の周囲でひらめく光。ATフィールドの刃がシンジの包帯を断ち切っていた。
「あはは、これでやっと動けるようになったよ」
ギコチなくそう言ってベッドから身を起こしたシンジの目の前には、上目づかいに何かを思いっきり期待しているレイの瞳がある。
「・・・碇君」
レイが言葉を発した瞬間、
ギュオン
部屋の空気が軋んだ。
直後に襲いかかる激しい轟音と衝撃。とっさに球形のATフィールドで自分たちを包んで守るレイ。音を遮断された世界の中から、オレンジ色の壁越しにシンジが見た光景。窓ガラスが砕け部屋中に飛び散り、置かれていた家具は床をはね回り倒れる。
「・・・いったい何が起こってるの・・・」
「複数の有質量弾の着弾による衝撃波。たぶん、戦艦の副砲クラス・・・」
突然、恒星フェザーンの陽光が部屋に射し込む。見上げたシンジの頭の上で、爆風にあおられた屋根がゆっくりとめくれあがって行った。
本来なら天井があるべき場所に青空を見上げ呆然としていたシンジだが、その視界に動くモノがあることに気がつく。ぬけるような青空をバックに上空を旋回する白い影。
「ブリュンヒルト・・・カヲル君だ!」
続劇