1998,10,16
渚の英雄伝説 −第52話−
カッポ、カッポ、カッポ、カッポ
軽快な蹄の音を響かせて馬車が行く。手綱を握るユイの表情は実に喜しそう、馬車をあやつることが純粋にオモシロイらしい。童心にかえってと言うか、もともと童心なのだから当然か。
ウワー ウワー
馬車が前を通ると、沿道の住民から大きな歓声があがる。人前に出ることの嫌いなレイの代わりに様々な形で国民の目に触れることの多いユイは、その愛らしい容貌もあいまってフェザーン市民からの人気は高い。
「すごーい、ユイちゃんて人気者なんだね」
歓声に応えてにこやかに手を振りながら感想をもらすマナ。別に彼女に向けられた歓声でもないのだが、そんな事は気にするそぶりすらない。けっこうこの状況を楽しんでいる。
「・・・・・」
一方、ひたすら気配を殺しているマユミ。速くこの時間が過ぎて、目的地に着いてくれというのが彼女の切なる願いである。
ちなみに、パレードは2時間続いたという。
「ふー、やっと着いた」
自治領主府について馬車からおりた面々。パレードの間ずっと愛想を振りまいていたマナはさすがに疲れたようだ。
「それで、どこにいるんですか」
それまで沈黙を続けていたマユミがグッとユイにせまる。彼女が知りたいのはシンジの居場所。もっとも今の場合、それはレイの居場所と同義である。
「えーっと、レイちゃーん」
トテトテとレイの執務室に走るユイ。しかし、そこにレイの姿はない。食堂やパーティールームにも人影は見あたらない。
「レイちゃーん」
トテトテとレイの私室に走るユイ。しかし、そこにも二人はいなかった。ちなみに、ワクワクしながら寝室を覗いたマナが見たものは、きちんとメイクされたベッドだけであった事を付け加えておく。
「帰ってないみたい」
ユイが結論を出す。
「ハグれちゃったね」
マナが肯定する。
どうやらレイは、いずこかに飛び去ってしまったものと思われる。シンジを連れて。
「・・・マナさん、確か怪しげなペンダントをシンジさんに渡してましたよね」
「ダメね、シンジ君、全然電池換えてくれないんだもん」
「・・・ここまで来るのに、既に2時間も時間を無駄にしてるんですよ」
「ご休憩ならそろそろ帰って来るんじゃない?」
「そういう冗談は止めて下さい」
「そんなに心配しなくても、シンジ君なら大丈夫よ。実際フェザーンに着くまでこ〜んな美少女とず〜っと一緒だったのに、な〜んにもなかったんだから」
「それって、自慢することですか」
マユミの声は冷たかった。
「そう言われると違うような気もするけど、あっ、マユミは何かあったんだ」
「ありません!そんな事より、今はシンジさんの身の安全を確認することが先です。もしも、万一のことがあったら・・・」
「綾波さんに負けたって事になるのかな、それはちょっぴり悔しいわね」
「私が心配してるのはそういう事じゃありません」
どこまで行っても会話のかみ合わない二人である。
「はっ、知らない天井だ」
生身で音速の壁を越えたシンジは、その衝撃により今まで気を失っていた。
(気を失うくらいで済んでしまうところがまた)
「うーん、なんだか死ぬような目にあった気がするけど、あんまりおぼえてないや」
記憶に若干の混乱が見られるようだ。
『都合の悪いことはすぐに忘れる』・・・32ある彼の処世術のひとつである。
「それにしても、ここは何処だろう?」
あたりを見回すため体を起こそうとしたシンジだが、
「なんだか思うように体が動かないやって、ああ、いつの間にか包帯グルグルに!」
豪華なベッドに寝かされたシンジの体は、身動きができないように包帯がグルグルと巻かれていた。
「気がついた?」
寝ているシンジの頭の上の方向から声がした。
「綾波・・・だよね」
見れば、なぜか壊れたメガネをかけているレイ。
「ええ」
「ほっ、よかった。それはそうと、どうして僕は包帯グルグルになってるのかな?」
「絆だから」
「・・・そっか」
さすがにレイとつきあいの長いシンジ、”絆”の一言でなんとなく今の状況を受け入れてしまう。
「ねえ綾波、ここはどこなの?」
「私の別荘のひとつ。誰も知らない、秘密の場所」
「この後、僕は同盟の弁務官事務所に行かなきゃいけないんだけど・・・」
「・・・いいの」
「いいのって・・・」
「必要なくなるから」
「なんで・・かな?」
「今日から碇君はドミニク・サンピエール・碇君。私の愛人だから(ぽっ)」
頬を染めてうつむくレイ。
恥ずかしがっているわりに、やっている事は拉致監禁である。
しかも、ユリアンを勝手にドミニクにされては、今後の展開に重大な支障があるのだが。
『僕はここにいてもいいのかな?』
いいのかどうか、疑問に思う時点ですでに間違ってるぞシンジ。
『僕は同盟軍の駐在武官だけど、綾波の愛人である僕がいてもいいのかも知れない』
愛人という言葉の持つ響きと、そこから生み出される妄想により現状認識能力が著しく低下しているシンジ。
『僕はここにいたい。だから僕はここにいてもいいんだ!』
ある意味、真理である。