1998,06,26
渚の英雄伝説 −第41話−
薄暗い部屋、雑然とモノが散らばった床、何本もの缶コーヒーの空き缶。
「どーして、なんで私だけ、どーして」
ぶつぶつと何事かつぶやきながら、粗末なベッドの上で膝をかかえる妙齢と呼ぶには微妙なお年頃の女性。
加持と一緒に「鳳凰の間」から逃げ出した。そのはずだった。しかし、気がつけば彼女だけ追っ手に捕まっていた。
加持はとっくに逃げていた。
そして今、ミサトは独房の中にいた。
プシュ
ドアが開く音がする。しかし彼女は顔をあげない。
「まずいご飯に、甘い缶コーヒー。メニューつくってる人間の良識を疑うわ」
どうせ昼食の配膳であろう。そう思って低くつぶやく彼女の頭上で、いつもと違う声がする。
「アンタ、本当にこんな女を使うつもり?」
「ああ、そのつもりだけど、何か問題でもあるのかい?」
聞き覚えのあるその声に顔をあげる。
「シトを肉眼で確認・・・私に何か用?」
「じつは、お願いしたい事があるんです」
にっこり笑ったカヲルは、背中に隠したエビチュを見せる。
「何でもやるわ(ハート)」
イゼルローン要塞攻略に成功した自由惑星同盟。人々は、難攻不落の要塞を味方に犠牲をだすことなく攻略したヤンのことを「詐欺師ゲンドウ」(ペテン師ゲンドウ)と呼んで褒め称えた。同盟政府は彼の功績に対しイゼルローン要塞司令、要塞駐留艦隊司令の地位を与え、さらには同盟軍中将に昇進させる大盤振る舞いである。
時の人であるゲンドウは、ハイネセンで行われた祝勝会を終え、イゼルローンに帰る途中である。ヒューベリオンの最上部、これもやはりゲンドウの我が儘で無理矢理作らせた、ガラス張りの展望室から星の海を眺めている。
「星を見ているのかね」
背後から冬月が問いかける。
「うむ、星はいい・・・・・」
振り返りもせずにゲンドウが答える。
セリフの最後がいささか聞き取りづらくなったのは、反射的に答えたセリフに照れているからである。
「・・・続きはどうした?」
「今は、これでいい」
「・・・ゲンドウ」
「なんだ」
「照れてるのか?」
「・・・問題ない」
ゲンドウは頑なに星の海を眺めている。絶対に振り返らないつもりのようだ。
その後ろ姿をニヤニヤと眺めていた冬月であるが、ゲンドウの向こうに見える星々の中に、じょじょに輝きをます星があることに気がついた。
「あれが、イゼルローン要塞か」
「そうだ・・・・私が手に入れた、私の星だ」
「シンジ君の力を借りてな・・・」
「シンジは私の力だよ」
そう言い切るゲンドウ。心の底からそう思っているらしい。
「傲慢だな・・・」
(その傲慢が、現在の冬月補完計画を生んだことに、果たして彼は気づいているのだろうか?)
ピ
軽い電子音とともに、ゲンドウの目の前のガラスの一部がモニターとなり、リツコの顔が表れる。
ゲンドウの顔には、先ほどのテレがまだ残っていた。
その表情を確認したリツコは一瞬驚きに目をみはり、その後ニヤリと笑った。
「イゼルローンの加持君から通信が入っています」
「・・・つないでくれ。それと、こちらからの映像は、送る必要ない」
憮然として言い放つゲンドウ。
「はい」
笑いをかみ殺しているリツコの映像が、加持に切り替わる。
加持の方からは「SOUND ONLY」の表示しか見えていないはずである。
「長旅お疲れ様です、司令」
「うむ、何かあったのか?」
「帝国の戦艦が1隻、こちらに接近中です。何やら交渉を希望しているようですが・・・」
「そうか、私も間もなくそちらに着く。茶菓子でも出しておいてやれ」
「了解」
そう言って通信が切れることを待っていた加持であるが・・・
「・・・加持君、そこにシンジはいるか?」
何を思ったか、ゲンドウがいきなり言い出す。
「なに?」
モニターがシンジの顔を捉える。
「・・・よくやったな、シンジ」
それはイゼルローンを攻略してから、初めてシンジにかけられたゲンドウの言葉であった。
もちろん、シンジを今後も何かと便利に使う為の伏線である。
「そんなこと言ってもらっても、ぜんぜん嬉しくない」
通信はイゼルローン側から切られた。
「人がたまに誉めてやれば、素直じゃないヤツだ。いったい誰に似たんだ」
『・・・性格は父親に似たな・・・』
ゲンドウの後ろ姿を見ながら、冬月は考える。
窓のむこうには、銀色に輝くイゼルローン要塞がさっきより大きさを増していた。
2時間後・・・
「失礼します」
そう言って部屋に入ってきた「帝国からのシ者」と名のる人物をゲンドウは観察している。
ツバメを思わせる軽やかな足取り。その動きにあわせて揺れる赤い髪は、恒星よりも美しく輝いている。そして何よりも印象的なのはサファイヤブルーの瞳であろう。自分たちの敵と知りつつも、イゼルローンの男共は好感を抱いたようだ。
「何の用だ、小娘」
しかし、ゲンドウは例外だった。
『このクソ親父』
心の中だけで悪態をつくアスカ。そんな内面の思いをおくびにも出さず、営業用スマイルで交渉の席につく。
「いきなりだけど、お互いの捕虜を交換しましょ。無駄飯を食べるだけの捕虜なんて、帝国には必要ないのよね」
暗にミサトの事を言っているようだ。
「反対する理由はない、やりたまえ」
交渉はゲンドウの一言でまとまった。おもいっきり拍子抜けするアスカ。しかし、これで作戦の第一段階は成功したのだ。
「じゃあ、話はこれだけね」
こんな所に長居は無用。アスカは退室しようと背後を振り返る。いつの間にかそこには、美人と噂の帝国からのシ者を一目見ようと大勢のギャラリーが集まっていた。
『まあ、当然と言えば当然ね。これだけの美少女を拝めるチャンスなんて、同盟の田舎者には滅多にあるものじゃなし』
気分良くギャラリーを見まわすアスカの視界に、ボケボケっとした少年の顔が飛び込む。
『・・・どこかで見たような顔ね』
部屋から出るまで、アスカの射るような視線がシンジに向けられる。見物にきたつもりが逆に注目をあびてしまい、シンジとしては居心地が悪いことこの上ない。
「そこのアンタ!」
部屋の出口で立ち止まると、アスカがおもむろに口を開く。
シンジは一応、自分の左右を確認する。どうやら自分の事らしい。
「・・・えーと・・・何?」
「アンタ、名前は?」
「・・・ユリアンだけど」
「フーン、冴えないわね」
『そんなこと、わざわざ本人に向かって言わなくたって・・・』
少女の素直な感想は、時に少年の心を深くエグる。
「失礼します」
そんな事は気にもしないで、優雅にお辞儀をして部屋を出ていくアスカ。
『呆れちゃうほどよく似てるわね。いい土産話ができたわ』
「なんだか感じの悪い人ですね」
「うむ。顔はいいが性格が破綻している。あんな女に引っかかっては人生を棒に振るぞ」
これは部屋に残された者の会話である。誰とは言わないがこの2人、趣味は共通しているのかも。
「・・・碇君」
胸の前で手を組む乙女の祈りポーズでイっちゃってるレイ。
シャムシエルとの戦いにおけるシンジの勇姿を反芻している。
「この時期に捕虜交換を行う真意は・・・」
目の前で一生懸命説明しているユイの言葉など何も頭に入っていないようである。