1998,05,16


渚の英雄伝説 −第36話−

さらば、遠き日


 

「汚されちゃった、汚されちゃったよう。どーしよう、加持さん。アタシ、汚されちゃった・・・」

「不潔よ!不潔よ!不潔よ!」

「ホンマ変わりモンやで、綾波のヤツ」

「平和だねー」

 

そんな発令所の騒ぎをよそに、ここ「鳳凰の間」は死のような沈黙が支配している。
この部屋にいる唯一人の生者は、ガラスの棺に冷凍保存されているシンジの遺体を虚ろな瞳で見つめている。

『僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した』

そうしていても、脳裏に浮かぶ思いは自責の念ばかり。
シンジを眺めて悶々としていた頃が、遠い過去の出来事のように思われる。(さらば、遠き日)

 

「カヲル」

突然かけられる声。
カヲルの視線は、壁に埋め込まれたスクリーンで静止する。

「レイ・・・!」

レイの姿を認識したとたん、カヲルは動いた。あわててシンジの棺に覆い被さる。

「何をしてるの・・・カヲル」

「見ないでよ、何でもないんだ。ここには誰もいないから、だから見ないでよ」

レイにだけは知って欲しくなかった。こんなシンジの姿を見て欲しくなかった。すべては遅きに失していることはわかっている。それでも必死に棺を抱きかかえ、レイの視界からシンジを隠す。

「・・・やっぱり、生者も死者も等価値なのね?」

カヲルがシンジを押し倒しているようにしか、レイには見えていない。
カヲルの気持ちは、レイに届いていなかった。

「そんなぁ、違うんだレイ。僕はただ・・・」

「・・・腰、動いてたもの」

シンジの遺体に覆い被さるカヲルの腰が、無意識のうちに動いていたようだ。

「いや、これは単なる条件反射で・・・だって目の前にシンジ君の」

「いいから、早く碇君から離れて」

すごすごとシンジの棺から身をはがすカヲル。レイはあらためてシンジの亡骸に目を向ける。

 

 

シンジを見つめるレイ。白い頬を伝うひとすじの滴。

「碇君・・・・ごめんなさい、私、あなたを守れなかった。私が守ると決めたのに・・・・」

「・・・レイ」

それ以上、なにもかける言葉がない。

「教えて、碇君。私はこれからどーすればいいの? 碇君のいない世界・・・欲しいのは絶望、無へと還りたいだけ」

「レイ!だめだよ、そんなこと絶対にダメだ。そんなのシンジ君が喜ぶはずないじゃないか」

「碇君のいない世界、あなたは何を望むの?」

赤い瞳と赤い瞳が交錯する。
しばらく睨み合いが続くが、先に視線を逸らしたのはカヲル。
その視線はゆっくりとシンジの方へ向けられる。

「・・・僕は、前に約束したんだ・・・シンジ君と・・・宇宙を手に入れるって。だから僕はその約束を果たさなければならない」

「そう、それが碇君の遺志なの」

「そうだよ、レイ。僕たちはここでこんな事をしていちゃいけないんだ。シンジ君のためにも」

シンジに向けるカヲルの視線、そこに生まれた新たな決意。

「さあ、レイ。一緒に征こう。そして宇宙を手に入れるんだ、シンジ君の為に」

レイの映像に手をさしのべるカヲル。
しかし、今度はレイが視線を逸らす。

「カヲル、あなたの歩む道を私が一緒に歩むことはできない。それは碇君のものだもの。だから私は私のやり方で、あなたの道を創ってあげる」

「レイ・・・どうするつもりなんだい」

「これからのあなたに、一番の障害となるものは何?」

宇宙を手に入れる事を決意したカヲル。その彼にとって一番の障害となるもの。それは今、この宇宙を支配している皇帝に他ならない。カヲル自身の手で即位させ、国民から熱烈な支持を得ている幼帝ユイの存在。

「皇帝を・・・まさか」

暗殺、暗い考えが一瞬、カヲルの脳裏をよぎる。

「殺してはダメ。国民の反感を買うわ。皇帝は亡命するの、自分の国民を裏切って」

「そうか・・・そういう事か、レイ」

確かに、それならカヲルが反感を買うことはないだろう。だがそれで宇宙が手に入るわけではない。次の皇帝選びが始まるだけだ。次期皇帝候補として最有力な存在、それは元グリューネワルト伯爵夫人のレイである。レイが皇帝にたてば、納得しない国民などいない。帝国国民のほとんどがアヤナミストであるという統計結果も存在する。

「ならばレイ、君が次の皇帝に」

「それではダメ、宇宙を手に入れると碇君と約束したのはカヲル、あなただもの」

「しかし、まわりが納得しないだろう。レイを差し置いて、誰が皇帝になれると思うんだい」

「私も亡命するの、ユイと一緒に」

「なんだって!」

「私が皇帝を誘拐したことにして構わない。私も消える。あなたの道を阻むものは何もないわ」

「そんな、レイ。君まで僕から離れて行くのか?」

「私には他にあなたにしてあげられることがない。これが碇君の遺志だもの」

「レイ!」

「もう、決めたから。このままユイを連れて行くわ」

「待ってくれ、レイ。僕はまだシンジ君の最後の言葉を伝えていない。シンジ君が最後に『さよなら』とレイに伝えてくれって」

「・・・さよなら」

ふっとレイの映像は消えた。再び部屋を沈黙が支配する。

『僕が不甲斐ないばかりに、シンジ君を失い、今度はレイにまで。僕は必ず宇宙を手に入れてみせる。その時レイ、あらためて君を迎えにいくよ』

カヲルは決意を固め、惨劇の日から1歩も離れたことのない部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

「渚の英雄伝説」 第一部 完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うまくいった
これでカヲルは帝国から離れることができない
ユイ、私たちも出発よ
補完計画で
碇君が待ってる

 


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