1998,03,17


渚の英雄伝説 −第29話−

嵐の前


 

ゾクゾク

部屋で書類を整理していたカヲルの背筋を、奇妙な悪寒が走る。

「なんだろう? この感じ・・・とても危険で・・・でも、どこか懐かしい感じがする・・・」

「慟哭、誰が為の勝利作戦・・・」

書類に目を通す作業を中断し、椅子に深くその身を沈め瞳を閉じると物思いにふける。
彫像めいた端正な表情から彼の思考を推測するのは難しい。

『最前線にいる僕によくも毎日毎日こう書類が届くものだ。これも元帥の運命(さだめ)なのか・・・』

あまりの書類の多さに、悪寒を口実に現実からトリップするカヲルであった。

 

コンコン

控えめなノックの音が、空想の世界でシンジと戯れていたカヲルを現実に連れ戻す。

「ウォルフガング洞木ヒカリ、入ります」

部屋に入ってきた彼女は、やや複雑な表情を浮かべている。

「何かあったのかい?」

いつもの快活さが感じられない彼女を不思議に思うカヲル。

「・・・いえ・・・たった今、ヴェスターラントでの任務に成功した碇君とアスカが、間もなく帰還するという連絡がありました」

カヲルの赤い瞳に、銀河のきらめきが宿る。

「やっと帰ってくるんだね・・・シンジ君。最後に会ってからもう1ヶ月以上になるのか・・・」

「ヴェスターラントでアスカがケガをしたので、その回復を待っての帰還となった為に遅くなったようです。ずいぶん長い時間がたったように感じられるのは、作者の更新が滞った影響も否定できません」

カヲルのつぶやきに、生真面目に答えるヒカリ。
シンジもアスカもいない今、カヲルの副官を務めるのは彼女である。

「なるほどね・・・洞木さんが浮かない表情をしているのは、アスカちゃんのケガが心配なんだね」

「はい・・・それもあるのですが・・・」

「他に何かあるのかい?」

ちょっと言い辛そうな表情を浮かべたヒカリは、すうっと一つ大きく息を吸い込んでから思い切ったように答える。

「実は・・・帝都で異変が生じたようです」

「異変? どんな?」

いぶかしげな赤い瞳がヒカリに向けられる。

「・・・皇帝が何者かに誘拐されました」

「・・・・・」

その言葉の意味を理解するまでに要した幾ばくかの時間は、何事にも鋭い反応を見せるカヲルにしてはかなり長い時間であった。

「まさか、ゼーレの連中にしてやられたのか・・・・」

 ヴェスターラント攻撃を陽動にして、帝都にいる皇帝を奪取する。
 真に有能なモノはその有能さを隠すということか・・・
 あの作戦部長、乳が大きいだけが取り柄じゃないようだね。

「ゼーレからの声明は?」

皇帝を手にしたゼーレが、カヲル討伐の勅命を出すことは間違いない。
今後は自分たちの方が賊軍の名を冠せられる事になるであろうとカヲルは考えた。

「ゼーレには特に変わった動きは見られません。ただ気になる資料がここに・・・」

そう言ってヒカリが差し出したのは数枚の写真である。

戦闘機のガンカメラが捉えた映像か、NERV宮殿上空に白い戦艦が浮かぶ。
艦首のモノアイが朝日を反射して美しく輝いているのが印象的である。
別の写真には人のようなモノに巻き付く光の帯も写っている。
その人影は幼い皇帝によく似ていた。

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

頭を抱えるカヲル。
どう声をかけていいのかわからないヒカリ。

「大至急レイと連絡がとりたい」

この前イロウルにハッキングを受けてから、ブリュンヒルトの通信設備は破棄されたままである。
FTL通信を使うには、近くの僚艦まで出向く必要がある。
艦隊運用くらいであれば、発光信号のやりとりで用が足りるのだが、込み入った話ともなるとそうもいかない。

「僭越かとも思ったのですが、既に先ほど零号機との通信を試みています」

「構わないよ、洞木さんが必要と思ったことをしてくれればそれでいい。で、レイはなんと?」

「・・・零号機に回線をつないだ途端、艦の人工知能により自律自爆が提訴されまして・・・残念ながら会話にまで至りませんでした」

その返答に唖然とするカヲル。

「あっ、でも自爆までに総員退艦するだけの猶予がありましたので、幸いなことに死傷者は出でいません」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

再び頭を抱えるカヲル。
やはり、どう声をかけていいのかわからないヒカリ。

「あわただしくて申し訳ないが、シンジ君たちが到着次第会議を開く。みんなを集めておいてくれないか・・・」

「了解しました」

サッと敬礼して、ヒカリは部屋を後にする。
残されたカヲルは、自らに言い聞かせるかのようにつぶやく。

「シトのさだめか・・・・シトの希望は悲しみに綴られている・・・・」

 

−ブリュンヒルト作戦室−

「なんでいきなりこんな所に連れてこられなきゃいけないのよ〜。このアタシがヴェスターラントでどれだけ苦労したと思ってるの?凱旋パーティーくらい開いてくれてもバチはあたらないわよ!!」

シャトルを降りると同時に作戦室に連れ込まれたアスカはかなり機嫌が悪い。
となりでは、シンジがのんきに茶などすすっている。

「ほらー、アンタも文句の一つくらい言ってやりなさいよ」

「しょうがないよ、ここは最前線なんだから。・・・それにパーティーとか、あんまり好きじゃないし・・・」

「・・・つまんない男ね」

ジト目のアスカを余所に、シンジはのんびり茶をすすり続ける。

「ごめんね、アスカ。まだ病み上がりなのに・・・やっぱり迷惑だった?」

心配そうにアスカを見つめるヒカリ。

「ぜーんぜん、それにケガなんてもう傷も残ってないわ。ヒカリが謝る必要なんてないんだから!」

『謝らなきゃいけないのは、あのホモ元帥よね。アイツには絶対に文句を言ってやるんだから!!』

アスカがそう決意したとき、当の本人が作戦室にあらわれる。
部屋の中をゆっくりと見渡し、実に久しぶりにシンジと視線を合わせる。

カヲルは優しく微笑む。シンジも少してれながら、笑顔を返す。
二人の再会に、特別な言葉は必要なかった。

作戦室という狭い空間の中で、他者の侵入できない絶対領域をつくる二人。
まわりにいる人間には迷惑いがいの何者でもない。

『なにアレ。男同士で見つめあっちゃってさ・・・気持ち悪い』

この光景を前に、先ほどのアスカの決意はなんとなく行き場を失う。

 

ひとしきり見つめあって満足したのか、カヲルは自分の席につくと、作戦室に集まった面々を前に、静かに宣言する。

「これより全力を挙げてガイエスブルグ要塞を攻略する」

その言葉に最初に反応したのはシンジであった。

「綾波も戻ってきたんだね」

ヴェスターラントの件でゼーレを支持する勢力は激減した。結果、レイの辺境討伐も早期に片がつきそうである。
ガイエスブルグ要塞を攻略するなら、戦力を分けたままより、レイの帰還に合わせた方が得策である。
作戦が開始されるという事は、レイが帰ってきた事を意味するとシンジは考えた。

カヲルは答える。

「いや、レイはまだだよ」

「え?・・・なら、どーして作戦開始なの。綾波も一緒の方が絶対に有利だよ」

実力で皇帝の身柄を確保したレイが、今更カヲルの命令に素直に従うとも思えない。
下手をすれば背中から撃たれることも考慮にいれなければ・・・いや、その可能性は非常に高い。

「帰る家、ホームがあるという事実は幸せにつながる・・・先にガイエスブルグを手に入れて、レイの帰還を盛大に歓迎してあげるのさ」

ゼーレとレイを同時に相手にするよりは各個撃破した方が確実である。
また攻略したガイエスブルグの火力と装甲は戦力として期待できる。

「そっか・・・そうだね、カヲル君」

シンジは屈託のない笑顔を浮かべた。
しかし、歓迎という言葉の持つ意味合いが、カヲルと微妙に異なっていることに気づいていない。

 

「なによ・・私の時には何もしてくれなかったくせに・・・」

アスカのつぶやきは、誰にも聞こえないほど小さかった。

 


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