どこともしれぬ薄暗い部屋。
 その光がほとんど射さない室内で、何かがもぞもぞと動いていた。ぱっと見たところガバドンの幼生みたいに見えるが、目を凝らしてよく見てみると、どうやらそれは人のようだ。人が頭から毛布を被っていたのだ。

「……うん…あっ…そんな、い…り…くんっ…はっ…」

 なにやら怪しく、切ない声が聞こえる。声に会わせるように、毛布の盛り上がりが微妙にうごめいた。もぞもぞと、まるで誘うように。

「ふ……うふ………はぁ………」

 その甘い声から判断するに、女性それもまだ少女から女に変わる直前の若い女性だろう。

「だめ…だめ…そんなところ、だめぇ…あっ……………………………あれ?」

 そこで唐突に毛布がはね上がり、その下からぼさぼさに乱れた黒髪もそのままに、なんとも寝とぼけた顔をした少女が身を起こした。半円状に半ば閉じられた目がなんとも眠そう。失礼ながらその真情を吐露すれば、このまま前のめりに倒れたいって所だろう。

「あふ…」

 とは言え、そういうわけにも行かないため、少女は不承不承頭を振ると、小さくあくびをする。そのあくびをする顔が何とも可愛らしい。大口を開けて笑うのではなく、控えめに小さく笑うタイプだ。清潔感溢れる美少女と言って良い。。間違っても美が少ない女ではない。
 どこかまだぼんやりした顔だったが、少女は意志を振り絞って寝ぼけ眼をこすりながら、枕元の棚においてある縁なし眼鏡を手に取った。片手で軽く振ってフレームを開き、慣れた手つきでそれを掛けると、少女は周囲を見渡し、改めて自分がどこにいるのかを思いだした。急激に彼女の顔から、ぼんやりしていた雰囲気が無くなっていく。

「な、なんだ。夢だったの。そう夢…だったんだ」

 肩をすくめた動きで乱れた髪が目の上にかかるが、それを直そうともせず、かすかに残念そうに、そしてほっとしたように少女は呟く。

「や、やだ。私ったら」

 言った直後、少女は真っ赤な顔になって、上半身をクルリと捻ってベッドに横たえた。顔を毛布に押しつけ、やんやんと首を振りつつ身もだえる。その動きで黒髪がふぁさっと広がった。いったいどんな夢を見ていたのだろう?
 かいま見える、その何とも言えないふんわりとした表情からは推測しかできないが、きっと良い夢を見ていたのだろう。

「あ〜あって言うべきなのかしら?
 …それとも、はしたない夢を見たって思うべきなのかしら?」

 再び口に出して、その少女───山岸マユミは言った。長い間友達がいなかった彼女は、ちょっと独り言を言う癖があった。あまり誉められた癖ではないが、それはそれで彼女らしいかも知れない。
 恥ずかしさのせいか、それとも夢の後遺症のせいか、それとも単に毛布を被っていて暑かったせいか、上気した頬をそっとなでる。ちょっとだけ名残惜しそうに上半身を起こすと、ベッドから手を伸ばしただけで届く位置にあるカーテンをさっと開けた。明るい春の日差しが入り込み、室内をまぶしく照らし出した。
 まぶしさに目を細めながら、マユミはう〜んと背伸びをする。


「う〜〜〜ん。
 でも夢で良かった…。だって、私達三年生になったばかり。早すぎるものね…って、なに!?」

 おはよう小鳥さんとか言いそうに思えた彼女だったが…、

 バサ、トン、ガタガタッ

 突然マユミはベッドから飛び起きて、古めかしいゼンマイ式の目覚まし時計を引ったくるように手に取った。
 時刻はAM5:08。
 別に驚くような時間ではない。外でスズメがチュンチュン鳴いていなければ。あと、針がウンともすんとも言わずに動いていれば。

「どうして、こんなに明るいのに午前5時なんて非常識な時間なの!?」

 んなもん聞くまでもない事だが、マユミは彼女としてはできるかぎりはしたなく、そして大声で叫んだ。そうせずにはいられなかったからだ。
 慌てて彼女によく似合った若草色のパジャマを脱ぎ、彼女らしからぬ大胆さで、急いで彼女らしい下着を身につけ、新学期に合わせて新調された壱中の制服を着る。…なぜか違和感があるような。こればっかりはよーわからん。
 ついで池田屋の階段落ち…あるいは蒲田交響曲ばりの勢いで階下に降りると、これまた凄い勢いで顔を洗い、歯を磨き、長くそれでいて艶やかな髪を丁寧にブラッシングし、なぜかのんびりバターを塗ったトーストだけを食べている父親をじろっと睨んだ後、朝食を食べずに外に飛び出した。

「な、なぜ睨む?マユミ、パパは悲しいぞ…」

 血は繋がっていないとは言え、父一人、子一人で愛情を注ぎまくって育てた(つもり)愛娘に睨まれ、父親の山岸リョウジ氏は涙を流しながらトーストをかじった。涙の味がした。
 そんな父親をほったらかして大急ぎで道路を走るマユミちゃん。
 キーンとかは決して言わないけど、まあそんな感じ。

「ち、遅刻だなんて私のキャラクターじゃないのに!!
 なんだか私が私じゃないみたい〜〜〜!!!」






− そして2人は −


書いた人:ZH





「はあ、はあ、はあ……おはようございますおばさま」
「あら、おはよう。マユミちゃん。シンジならまだ寝てるわ」
「…………………そ、そうですか」

 十数分後、勢いよくと言うには控えめに碇家の扉が開いた。もちろん扉を開けて朝の挨拶をしたのは、某幼なじみではない。この話のヒロイン、山岸マユミちゃんその人である。
 朝食の準備をしていた碇家主人、碇ユイはマユミを確認するとにこっと笑った。その全然年齢を感じさせないユイの微笑みに、ちょっとだけ見ほれて動きが止まる。その様子を面白がるようにユイは目だけで笑った。

「(あらあら固まっちゃって…。アスカちゃんとは正反対ね)どうしたの?上がってちょうだい。あ、そうだわ。いつも悪いけど良かったらシンジを起こしてくれないかしら?あの子ったら低血圧のくせに夜更かしばっかりするでしょ?」
「え、はい、あ、そうですね」
「お願いね〜♪」

 マユミは見透かされている気がして、ちょっととまどったが、それでも嬉しそうに恥ずかしそうに、ぱたぱた足音をたてながらシンジの部屋に向かった。

 マユミが数回ノックしてから、シンジの部屋に入った頃、ユイがみそ汁の鍋をかき混ぜながら、誰に言うでもなくつぶやいた。それに答える新聞で顔を隠したヒゲ眼鏡。この美女と野獣の組み合わせは犯罪な気がするが、お話の都合上しょうがない。

「…ホント、初々しくて可愛いわね。あの子」
「ああ、そうだな」
「…シンジが今つき合っているって紹介したときは驚いたわね」
「ああ、そうだな」
「アスカちゃん…顔は笑っていたけど、目が真っ赤だったわよね…」

 アスカの顔を思い出して少し沈んだ顔をするユイ。
 娘みたいに思っていた少女のことを考えると、本当に胸が痛い。同じく、シンジにとって従姉妹に当たる少女のことをも考えると…。だが、こればかりはユイであってもいかんともし難いところだ。

「ああ、そうだな」
「どちらもいい子だから、ことさら辛いわよね」
「ああ、そうだな」
「アスカちゃん、シンジに近すぎたから…」
「ああ、そうだな」
「………聞いてるの、あなた?」

 ゲンドウの生返事にピクリと眉をひそめる。

「ああ、そうだな」
「…………あなたはおとなしめのマユミちゃんが好みなのかしら?」

 無表情な顔でユイはそろそろとフライパンを手に取り、ゆっくりとゲンドウの背後に回る。

「ああ。2人ともシンジには勿体ない」
「……………あなたがもう少し若かったらほっとかなかったかしら?」

 深呼吸をしながら、ユイは思いっきりフライパンを振りかぶった。

「ああ、もちろんだ。だがまだまだ私は現役だ。シンジにはやらん。あのての何も知らない少女に色々教えるというシチュエーションは何にも代え難い」
「………………………やっぱり若いこの方が好きなのかしら?」

 最後に、酷薄にくすっとユイは笑った。それは、ゲンドウに対する別れの微笑みだったのかもしれない。そしてその時になってようやく、ゲンドウは背後のユイに、彼女の殺気に気づいた。

「当然だな。そのような質問は愚問というものですよキール会長…ってユイ!?」
「…何をするのかですって?それこそ愚問ね♪」
「待て、待ってくれユイぃ───!!!私は朝から取締役会議が…ごはっ!!」


(?
 また揺れてる…。いつもおじさまとおばさま何やってるのかしら?)

 完全防音のため、階下のダイニングの騒音は聞こえないが、なにやらどっすんばったんと振動が伝わってくる。なにをしてるのかしら?
 ま…まさか朝っぱらから、それもダイニングでドキドキ?
 と、マユミは小首を傾げながら顔に疑問符を張り付けた。

(たいていシンジ君と一緒に下に降りると、おじさまは居なくなっていて、おばさまケチャップをこぼしたのとか言いながらテーブル拭いているのよね。…ま、それよりも)

 少しばかりユイとゲンドウが何をやっているのか興味があるマユミは、今から下にのぞきに行きたい誘惑にかられたが、即考え直した。目の前の扉の奥、『シンちゃんの部屋』と書かれた部屋の住人を、夢の世界から優しく起こす誘惑の方がそれより遙かに勝っていたからだ。
 もう何十回目になるかわからないが、それでもこうして扉の前に立つと彼女の心はドキドキする。その心を抑えるように、扉をを控えめにノックをする。もちろん、部屋の住人は何のリアクションも返さない。マユミの頬がほんのりと色づいた。

「あの、シンジ君。朝ですよ。もう8時20分です。早くしないと遅刻ですよ…」

 続いて彼女らしい控えめで優しい声をかけるが、部屋の住人は起きる気配なし。

「……起きて下さい。
 起きないんだから、部屋に入っても碇君が悪いんですからね。だから勝手に部屋にはいってなんて言わないで下さいよ」

 なんか自分というか、誰かにいいわけでもするみたいにマユミはゆっくりと扉を開けた。
 壁に無造作に立てかけられたチェロや、出しっぱなしの譜面台に楽譜、音楽関係の本が詰め込まれた大きめの本棚、意外に小綺麗な机と、その上で自分の役目を忘れたペンペン時計。
 それから…自分と部屋の主が一緒に写っている写真が入れてあるフォトスタンド。
 マユミはすでに見慣れた景色をさほど気にかけず、ただ一直線に目標の側まで歩いた。そして目標の側まで行くと、ぺたんと女の子座りをして、優しく、目標こと碇家嫡男、碇シンジの肩を揺すった。

「シンジ君、朝ですよ。起きて下さい」
「う〜〜〜ん」
「起きて下さい。
 ……………起きないと、キ……キ………キス……………………………………しますよ?」
 冗談のつもりで言ったのだが、言った後いかに自分が凄いことを言ったかに気がついて、完熟トマトのようになる。そして彼女は頬に手を当て、きゅ〜んと子犬みたいに体を震わせる。
 男として即座に飛び起き、『おはよう』と言うべき状況なのに、シンジは起きる気配が全くない。それどころか布団を更にかぶってシェルター完備。シンジの行動にマユミはさすがにムッとした顔になった。まあ、これで起きることを期待していたわけではないが。

「冗談だと思っていますね?」

 やはり赤い顔をしたままだが、それでも先ほどまでの控えめなやり方ではなく強引にシンジの頭から布団をひっぺがすと、マユミはゆっくりと顔を近づけていった。それでもシンジは起きようとしない。

(私だって…するときは本当に)

 覚悟を決めたマユミの体温、心拍数が急上昇。

 30……20……10…5・・3・2・1……………………………………
 ……………………………………………………。

 あれ?

 後ほんの1センチ、ちょっとシンジが首を動かすか、マユミの背中をぽんと押すかすればそれだけで接触するくらいの位置で彼女の動きは停止した。そのまま全く動こうとしない。シンジの息をどこかくすぐったく、そして気持ちよく感じるところで、マユミの動きは静止していた。心臓を手で押さえなくても聞こえるくらいの音を立てながら、マユミはシンジの寝顔をジッと見つめた。少し寂しそうに恥ずかしそうに笑うと、ゆっくりと顔を上げる。

「……やっぱり、早すぎますよね。それに恥ずかしい(何よりこんな形でファーストキスはしたくないから)」
「………………………………………………………………………………………ちっ」

 ふふっと笑ってさてどうしようかと考えたマユミの耳に、舌打ちが聞こえた。マユミの顔がきょとんとする。この室内には彼女とシンジのほか誰もいない。そして、舌打ちをしたのはマユミではない。となると誰がそれをしたのかは、お日さまが東から登ることを確かめるまでもなくわかることだった。

「ちっ!?し、シンジ君起きてるんですか!?」
「しまっ……ぐ───、ぐ───、ぐ───」
「今更遅いですよっ!あ───ん、シンジ君のバカ───!信じられな───い!」
「そ、そんな誤解だよ!だいたいキスしようとしたのはマユの方じゃないか!」
「碇君は違うって信じてたのに───!他のイヤらしい男の人とは違うって…。
 なのにやっぱり裏切るのね───!!!」

 うえ〜んと泣き声を出すマユミに、さすがにまずいと思ったシンジは慌てて跳ね起きた。そのまま顔を両手で押さえてフルフルするマユミの両肩を掴んで落ち着かせようと抱きしめる。普段の彼らしくない、なんとも積極的な行動だがそれにはワケがある。このままほっておくとユイが、『シンジぃ!!!女の子を泣かせて何してるのっ!!!?まだ私はおばあちゃんにはなりたくないのよ!!!』とご近所の方に顔見せできないようなことを叫びながら飛び込んで、もっと凄いことになるからだ。
 とにかくシンジに頭を胸に抱かれて、マユミはちょっとびっくりしながらも、落ち着いたのかそれとも嬉しいからか静かになった。単に声を出せないほど驚いたからかも知れない。

「落ち着いた…?」
「……………はい」
「…あの、ごめん。ちょっとからかおうと思って。その、泣かせてごめんね(だってマユがあんまり可愛いから)」
「いえ、私こそすみませ…んんっ!?」
「えっ?いったいどうし…あっ」

 何とも和やかでほほえましい雰囲気を作り上げたかに思われたが、そこで再び2人の時間は停止した。マユミは真っ赤な顔でまじまじと下を見つめ、シンジは自分の格好と現在時刻が朝で、起きたばかりだったことを思い出した。
 彼女の右手に触れるちょっと硬いような柔らかいものは…?

「いやあああああっ!!!シンジ君のH───!!!」
「仕方ないだろ!?朝なんだから!!」
「ああ───ん、もう知りません!!!
 うっ、うっ、うっ、とんでもないモノ見ちゃった…わたしもうお嫁に行けません」
「お嫁にって、ちょっと大げさすぎるよ!もう泣かないでったら!
 それに…………大丈夫だよ」
「うっうっうっ……えっ?」

 シンジの言葉にハッと顔を上げる。ちなみにまだ肩はシンジに抱かれたまま。間近で見つめ合う2人。彼女の瞳は涙で濡れていたが、シンジにはかえって綺麗に見えた。かすかに匂うマユミの香りにいきなり50跳ね上がるシンジの血圧。

「いざとなったら…その…僕が…」
「ぼ、僕が?(シンジ君)」

 マユミはシンジの言葉に目を輝かせた。

「あの、えっと、も、もらうから…」
「………………やだ、冗談でもそんなこと言わないで下さい。期待するじゃないですか」
「冗談なんかじゃ…無い(と思う)」
「ああ、例え冗談でも……………わたしうれしい、嬉しいです。シンジ君…」
「マユ…」

 そして見つめ合う2人は、改めて抱き合った。ところでマユって呼び方だけれど、これは元々少し明るくなったマユミのニックネームだった。…だったのだが、いつしかマユミと一言で呼びにくかったシンジが使うようになり、更にいつの間にか学校の人間は(なぜか)使わなくなってシンジだけに許された彼女の愛称だったりする。…はいはい。もうお腹いっぱい。


 お子さまらしくただマユミがシンジの胸に顔を預ける形で、軽く抱き合うだけの2人だったが、なんとも甘い世界をつくる2人。ところでかなり時間が経っているが大丈夫なのか?人ごとながら少し心配になったとき、2人の時間を動かす無粋な人物が、扉の影からひょこっと顔を出した。

「どうでも良いけど遅刻するわよん」

「「み、ミサトさんどうしてここに!?」」

 声をかけられた瞬間、0○9も土下座で逃げるような凄まじい速度で微妙な距離を取るシンジとマユミ。お互い真っ赤な顔をしてあさっての方向を見るところが初々しい。声をかけた張本人、暗紫色の髪と出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる、超絶爆裂バディの持ち主である葛城ミサトはそう思った。
 ミサトはガキのくせに色気づきやがってといった表情ではなく、あらもう終わっちゃったの?まあいつものことだけどつまんないの という表情で2人を見た。まだ微妙な距離のままの2人に、すっかりすれてしまった年齢のミサトは、ふふっと人の良い笑いを浮かべる。

「どうしてって、シンちゃんと同居してるんだからここにいたっておかしくないでしょ?
 だいたいそれがあなたのクラスの担任で、しかも従姉のお姉さんに向かって言うセリフ?」
「い、いくらなんでも設定が無茶苦茶だよ!」
「私に言わないでよ。言うんなら作者」

 ええ〜いうるさい。

「ほらほら、早く着替えてさっさと学校に行きなさい。あなた達は車で学校に行くワケじゃないんだから」
「ああ!?もうこんな時間だっ!!急がないと!!」

 ほらほらとミサトが促すのに従ってシンジは寝間着代わりにきていた大きめのTシャツを脱いだ。ミサトは子供の頃から見知っている上、シンジくらいで喜ぶほど子供ではなかったが、当然シンジのすぐ隣にいたマユミが悲鳴をあげる。うむ、やはり女の子の悲鳴はきゃあにかぎる。

「きゃあああああっ!!!シンジ君、服を脱がないでくださ───い!!」
「ご、ごめん!でも仕方ないだろ!?着替えないといけないんだから!!」
「でもでも〜」
「はあ〜〜見てて飽きないけど…山岸さんも愛しいシンちゃんの裸を見ていたいのはわかるけどさっさと出る」


 シンジとマユミが外に出たのは結局更に時間が経ってからだった。





「今日、また転校生が来るんだってね」

 タッタッタと元気よく走りながら、シンジとマユミは学校に向かっていた。時間はすでにかなりやばいことになっており、このハイペースであっても間に合わない可能性がじつに高い。にもかかわらず、シンジとマユミは走りながら会話できる程度のペースだった。担任が遅刻することを知っているからだが。それにしてもいい度胸だね君たち。

「ここも首都になったんですから、当然と言えば当然なんでしょうね」
「どんな人だろ。男かな女の子かな?可愛い子だったらいいけど…」

 斜め後ろにマユミが居るというのに、他の女の子のことを考えるシンジ。しかも転校生を女の子と半ば決めつけているところが彼らしい。マユミはちょっとだけムッとした顔をしたが、なぜかシンジに同調して転校生を女の子と考えていた。女の子であっても、シンジに興味を持たなければそれで良い。そうすればきっと友達になれるはずだから。だが、そうでなければ敵だ。

「それより、時間がホントやばいね」
「そうですね。どうします?」
「こうしよう」
「えっ?…きゃっ」

 いきなりシンジはマユミの右腕を掴むと、走るペースを速くした。先ほどより数段速いが、マユミが転んだりしないように、ついてこられるように意識的にペースを調節する。マユミはいきなり手をつかまれて驚きの声を上げはしたが、それでも悪い気はしない。ポッと頬を染め、シンジの手の温もりを感じながら無言でシンジにひっぱってもらった。





 その頃…。
 シンジ達が大急ぎで走っているその時、別の路地をもの凄いスピードで走る一人の少女がいた。
 ショートにした栗色の髪の毛、口にくわえたトースト、そして愛嬌のあるたれ目の持ち主。そして彼女の快活さを証明するカモシカのようにすらっとした足。

「遅刻遅刻〜!!
 制服を念入りにチェックしたせいで遅刻しちゃうなんて、全然ダメよね〜」



 そして…。
 お約束通り三人の時間と空間が交差した。

「きゃっ!」
「うわっ!」
「うっそぉ!!」

ごっち〜〜〜〜ん!!!!


 ピピピ…ちゅんちゅん♪

「いててて……ってえ!?」

 転がったトーストにスズメが群がる横で、尻餅をついたシンジは頭をさすりながら激突した相手と、手をつないでいたマユミがどうなったか目を向けた。瞬間、シンジは目の前の光景に思わず声を上げて目を見開いた。

水色の2段重ね…。
 マユ、レースはちょっとアダルトすぎだよ…。嬉しいけどなんか複雑」

 ちょっと意味不明だが、とにかくシンジはぶつけた頭の痛みも忘れて、彼曰く2段重ねを食い入るように見つめていた。

「あいたたた…。ご、ごめんなさい!」

 少女は朦朧としていた意識を回復させると、慌ててからみつくように折り重なって目を回していたマユミを脇にどけた。ついでにマユミに何も言わせる隙を与えずにあやまると、スカートを風になびかせながら走り出した。結構な足の速さと、その颯爽とした姿にシンジも何も言えなくなる。

「ホント、ごめんなさい!急いでいたの!」



 少女の姿が消えた後、呆然としながらもこいつは朝からええもん拝ませてもろうたわ、眼福もんやと親父臭いことを考えるシンジと、

「いやあああああっ!!!
 見ず知らずの人とあんな事になって、しかもシンジ君に見られちゃうなんて───っ!!!
 私あんな事期待していなかったのに、もう、お嫁に行けない───っ!!」

 と、顔を押さえてフルフルするマユミが残されていた。





2−Aの教室

「なにぃ!?それで見たんか、その女のパンツ?」
「2段重ねでばっちりと…」

 右手の親指を立てたシンジの意味不明の言葉に、鼻息荒いトウジ。何を考えているのか、一目瞭然だ。少し引きながら、シンジは下手に遅刻しそうだった言い訳なんてしなければ良かったかなと思っていた。

「かぁ───!!朝っぱらから運のエエやっちゃなぁ!」

 そんなシンジの内心の思いを知ってか知らずか、額を手で押さえながらトウジは感嘆の声を上げる。だが、その声はあっと言う間に痛みに悶える苦鳴と変わった。やれやれとシンジはため息をつきながら、トウジとトウジを泣かせている人物を見やった。そしてトウジの馬鹿さ加減と、自分の彼女は理解があって嫉妬深い人じゃなくて良かったと思った。

「もう、朝っぱらから何つまんないこといってるのよ!鈴原、さっさと花瓶の水換えてきて!週番でしょう!」
「い、痛い、イインチョ!!」

 トウジが別の女の子のことを話していたことで怒っているのか、それとも単に仕事をさぼっているから怒っているのか不明だが、とにかくヒカリの説教と問答無用の連行にトウジは尻尾を巻いて廊下に消えた。その情けない後ろ姿を見ながらぽつりとシンジは呟く。

「尻にひかれるタイプだな、トウジって」
「…シンジ君はどうなんですか?」

 シンジのつぶやきに、アスカではなくマユミがたずねた。彼女としては何気ない質問だったのだが、まさか質問の結果がこんな事になるとは思ってもいなかった。後に彼女はそう語っている。
 シンジはマユミの方をちらっと見たあと、花瓶の水をかえ終わり、黒板を拭いて綺麗にしている(させられている)トウジに目をやって笑いながら言った。

「僕?マユだったらしかれてもいいよ…」

ビキィッ!!!

 そんな音を立てて教室が凍った。すくなくともシンジはそう思った。自分が何を言ったのか、そして言った結果教室の雰囲気が一変したのを感じて、慌てて口に手をやるが後の祭り。
 全く興味なさそうにしてレイと話していたアスカはその言葉にビクッと固まり、同じくレイも目を少し見開く。自分の席に座って、横目でレイ達を盗み見していたカヲルはおやおやと肩をすくめてシンジを見た。

「……………シンジ君…それって(それって、やっぱり……遠回しの、プロポーズ?)」

 マユミは今日何回目になるかわからない紅い顔でシンジを見た。
 心なしかその眼はキラキラと光り、潤んでいた。

「あっ、…な、ははは…」

(これはやばい)

 何か言おうとしたシンジだったが、突き刺さる周囲からの視線と、潤んだマユミの瞳の前には、ただ情けなく笑うことしかできない。自業自得、絶対に同情なんかするもんか。

(今日はついているのかついていないのかわからないよ…)


「平和だね〜」
「まったくだよ。ラブコメはいいね〜、リリンの生んだ文化の至宝、まさに究極だよ」
 シンジの情けない姿を見ながら、ケンスケは一人寂しく、それでいてしみじみとそう呟き、カヲルはしたり顔でワケの分からないことを言っていた。ただ、どこからともなく聞こえる鳶の鳴き声が、彼らの言葉を肯定しているように思えた。





「喜べ男子ぃ!今日は、噂の転校生を紹介するわ!!」

 教室に入るなり、ミサトはそう言った。にんまり笑ってとびっきりの美少女を紹介する。

「霧島マナです。よろしく♪」

「はい、よろしゅう!」

 トウジのおどけた言葉に、教室中にどっと笑いが巻き起こる。ヒカリが転校生に向かって凶悪な視線を投げかける横で、シンジとマユミは何も言えず固まっていた。

((あの子…今朝の…))

 その時、ヒカリの殺気に冷や汗を流しながらも、教室を見渡していたマナは一人の少女に気がついた。今時珍しい、長く伸ばした黒髪の少女。間違いない。
 マナは口を数呼吸の間ぱくぱくさせていたが、次の瞬間、隣の教室に聞こえるくらいの大声を上げてマユミを指さした。

「あ────!!!
 あなた今朝の痴女!!」
「ち、痴女なんて誤解です!だいたいアレはあなたの方からぶつかってきたんじゃないですか!!」 
「そうだ!思い出した!今朝の水色の子だ!」
「水色…水色?…水色ぉ!?
 ああ〜〜〜〜っ!!あなた今朝の痴女の片割れ!!!」

「いや〜〜〜〜〜!!山岸さんに碇君、不潔よ〜〜〜〜〜!!!
 遅刻しそうだったって、今朝いったい何をしてきたのよ〜〜〜〜〜〜〜!?」
「おりょ?洞木さん興味ある?あの2人、ベッドの横で抱き合っていたのよん♪
 私が邪魔しなければどうなっていたことか…。シンちゃんたら進んでるぅ♪」

「何ですって!?シンジあんたもうそんな事してるの!?私の時には何もしなかったくせにぃ!!!!」
「アスカの言うとおりよっ!!!そんなの嘘よ!!!2人とも、もうすでにできてたなんてぇっ!!!碇君は私が守るわ!!!←錯乱」

「シンジぃ。ワシはおまえを殴らないかん。殴らんと気がすまんのや!!!」
「イヤ〜ンな感じぃ!!!」
「シンジ君、僕は君と出会うために生まれてきたはずなのに……。どうしてだろう?君に対して殺意がわき上がるのを止められないよ。君には山岸さんがいるのに、どうしてまだ彼女の心を縛り続けるんだい?」

 教室に喧噪がわき起こった。





 放課後、道路をとぼとぼ疲れ切った表情でシンジとマユミは歩いていた。すでに太陽は夕焼けとなり、周囲を黄金色に輝かせている。シンジはその光を浴びて、艶やかな光を放つマユミの髪を心底綺麗だと思った。ぼんやり、何も言わずに自分を見るシンジに、マユミは少しくすぐったくなったのか、恥ずかしそうにシンジの目を見た。

「な、なんですか?そんなジッと見て…」
「いや…。今日のことを思い出して…(見とれていたなんて言えないよ)」
「…霧島さんのことですか?」
「うん。それだけじゃないけど…」

 シンジの言葉に、ちょっとだけ目を伏せるマユミ。

「あのあと、トウジやケンスケ達と色々話をしたんだけど…」
「…はい」
「僕、間違いなくマユのことが好きだよ。誰よりも…」
「!!」

 2人の足が止まる。
 なにか感じる物があったのか、手で口を押さえ目を潤ませるマユミにゆっくりとシンジは振り返る。
 そして、泣きそうな顔をしているマユミに優しく微笑むと、そっと言葉を続けた。

「霧島さんのことで今日大騒ぎになったけど、そのおかげで改めてわかったんだ。そして、僕は相変わらずふらふらしていて、態度をはっきりさせていなかったことも」
「シンジ君…」
「ごめん。マユずっと不安だったんだろ?僕の態度に…」
「……そう、かもしれません。だって、アスカさんと綾波さん。どっちも私より綺麗だから…。だから、いつも不安でした」

 正直な彼女の言葉にシンジはうなだれ、マユミは寂しそうに夕日を見つめた。
 そのまま無言の2人。夕日が向こうの山に半分姿を隠した頃、ようやくシンジは口を開いた。それまでの時間はシンジの決心。かつて公衆の面前でマユミに告白したときよりも、そして、親友のカヲルを誤解とはいえ殴ったときよりも勇気を振り絞るための時間。

「それで、あのさ…。あしたの金曜日、父さんと母さん仕事で日曜まで帰ってこないんだ。ミサトさんも、赤木先生の所に泊まって来るって言っていて…」
「…………………」
「……その、良かったらでいいんだけど」
「はい。シンジ君、1人で食べるより2人でご飯を食べた方が、美味しいですものね」

 マユミは真っ赤な顔で、でもとても嬉しそうにシンジに言った。シンジもマユミの返答を聞いて、負けないくらい赤く、嬉しそうな顔をする。夕日が9割方消えて暗くなっていなければ、お互い真っ赤になっていたことがわかっただろう。だが、2人は確認する必要なかった。今の2人はそれくらい、言葉にしなくても、目で見なくても分かり合えるのだから。

 そして2人の恋人達は手を握り合って、ゆっくりと歩き始めた。空に2人の決心を祝福するかのように、一番星が瞬く。
 2人の本当の時間はここから、始まったのかもしれない。


終わり






















 おまけナリよ

 シンジとマユミが手と手を取り合って歩き去ったあと、電柱の影から数人の少女が姿を現した。
 うち2人の少女達は、もう見えなくなったシンジとマユミの背中を凄まじい目で睨んだ。睨み付けた。

「シンジのくせに、女の子を家に誘うとはいい度胸ね…。
 しかも2人っきり?冗談じゃないわ!!!」

 拳を固めてうなるように言う赤毛の少女。そのすぐ横で、無表情に呟く空色の髪の不思議少女。普段明るく、屈託のない彼女だが今の彼女は人形のように冷たく、どこか赤みを増した目で、シンジ達の消えたあとを見つめていた。

「断固邪魔…じゃない、見学しないといけないわね」
「その通りよ、レイ。この私は負けるわけにはいかないのよ!!」
「碇君の貞操は私が守るわ」


 アスカとレイ、2人の後ろには何を想像しているのか、イヤンイヤンしているヒカリと、呆然としているマナが居た。

「碇君に山岸さん、不潔よ!」
「も、もしかしてわたしの出番これだけ?今回私がヒロインじゃなかったの?」

 ゴメン。

 そして彼女たちのすぐ後ろで、鼻息荒い野郎ども。

「シンジ、1人だけ大人の階段登ろうったって、そうはいかないぞ…。
 邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやる、邪魔してやるぅ!!!!!」
「け、ケンスケ…大丈夫か自分?」
「今は何を言っても無駄だよ、鈴原君。彼は修羅。それもラブコメを憎悪する修羅の中の修羅なのさ。もう、カイ○オウとラオ○ウを連れてこないといけないかもしれないね」

 シンジとマユミ、2人が完全な恋人同士になるのはかなり先のようである。




後書き

この話は元々は閉鎖した【Holy Beast 聖なる獣】の、バレンタイン記念の部屋に投稿していた作品です。
内容自体はそれとかわりはありませんが、
今回、山岸マユミ補完委員会に再掲載してもらうに当たって、誤字脱字などの修正を行い、また一部加筆しました。

かゆ、うま。

2002/03/14 記す