2月のある日の物語 3rd Impact 書いた人:ZH
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あれから5日。 マユミの生活には、特に大きな変化はなかった。 表面上は。 実際は上履きを隠されたり、剃刀メールが届いたり…と言った露骨な報復は、全てを見通すようなカヲルのまなざしと、クラス委員長とその親友の活躍によってなかった。 だが、ステゴサウルスでも気が付きそうなくらい、敵意のこもった視線をマユミは感じていた。授業中、休み時間、登下校時。女の嫉妬って、ホント怖い。 周りのことなど気にもしない、無視されることにも慣れきっている彼女にも、その視線はこたえた。なにしろ初めての経験だ。無視されることはあっても、露骨な敵意を向けられたことなど彼女はなかった。その視線は14日が近づくにつれ、だんだんと増していった。 (もうダメ…) はふぅ、とため息をつきながら机に突っ伏す。胸が机に押しつけられて少し痛み、眼鏡のフレームがごりごりと机に当たるが、その姿勢を変えようとしない。胃の底からなにか逆流しそうな感覚に、彼女はすっかりと参っていた。 12日の時点で、彼女は重圧からつぶれそうになっていたのだった。 とは言うものの、いつまでもそうしてるわけにもいかない。 やがて彼女はのろのろと顔を上げると、図書主事の教師から頼まれていた図書便りを運ぶために、図書室に向かった。 その途中途中でも例によって敵意に似た視線を向けられる。 (どうして私がこんな目に…) フラフラしながら図書便りを受け取り、合わせると電話帳よりも厚い冊子をもって教室に向かう。 その途中…。 「大丈夫かい?」 そんな彼女に優しく、そう、生まれたばかりの子犬を扱うように優しく接してくるカヲル。 マユミは、自分の心が高鳴るのを感じてまた少し落ち込んでいく。カヲルが優しく接してくれることは嬉しいが、それがまた余計な敵意を集めることを彼女は恐れたのだ。また、一瞬浮かんだシンジの顔がまた心に重圧を投げかける。しかし、カヲルはそんな彼女の心を知ってか知らずか更に優しい言葉をかけ、いたわった。 「そんな辛そうな顔をしなくてもいいよ。周りのみんなが騒ぐのも始めのうちだけさ」 「でも、困ります…」 図書便りの束を持つのを手伝おうとするカヲルに、マユミが周囲の視線を気にしながら、本当に困っている声を出した。でもそれは逆効果。カヲルは表情を変えることもせず、マユミの手から全ての冊子を取り上げると、すたすたと教室に歩いていく。 「女の子にこんな力仕事をさせるわけにはいかないだろう。それに迷惑なのかい?」 「そんなこと無いです…でも」 「じゃあ、問題無しだ」 それ以上マユミは何も言えなくなっていた。 確かにマユミは嬉しかった。誰にも気にされることの無かった今までの生活に比べれば、今の環境はとても刺激的だった。異性と話す…それもありとあらゆる面で完璧で、非の打ち所のない存在と。しかもその人物は自分のことが好きだと言ってくれる。まさに彼女が物語の中でしか知らない世界が、現実に目の前にある。マユミも14歳の少女。そう言うことに憧れないかと言えば嘘になる。 しかし、同時に彼女はカヲルの本当の姿という物も、だんだんと分かってきていた。カヲルは自分を見ているようで、自分を見てないような気がする。そして自分の心の奥底で、木が育つようにだんだんと大きくなっていく。黒髪の同級生に対する説明のつけようのない想い。それより何より、周囲から投げかけられる視線。この三つが複雑に絡み合い彼女の心は壊れそうになっていた。 (私…一体どうすれば。ううん、どうしたいの? 確かに渚さんはステキな人だと思う…。でも、なぜか信用できない。それとも私、彼のことを信用したくないのかしら。裏切られたくないから。 それに周りのみんなが怖い。きっと苛められるわ。無視されるだけなら耐えられたけど…。 それに…碇君。 なぜかは分からない…でも、碇君。 どうして?碇君のこと何も知らないのに! どうして碇君のことばかり考えてるの?自分のことなのに分からないなんて…私どうしちゃったんだろう。 ……ふしぎだったな。あんな、小説みたいな事が本当にあるなんて。でも、イヤじゃなかった。それどころか、普通に話せた。碇君。 やっぱり…私…碇君のこと…。 でも、私じゃ無理よね。だって碇君の隣には惣流さんと綾波さんがいるもの。 私が入り込む隙間なんて…きっとない) 思い悩んでいる間に、放課後になっていた。 そして翌13日。 2−Aの空気はぴりぴりと緊張していた。勿論、マユミがどういう返事をするか皆が注目しているからだ。 直接関係のない男子生徒も、敏感にその空気を察知し押し黙っている。 「おはよう」 その空気がないかのごとく、カヲルはうつむいて席に座っているマユミに挨拶をした。 「お、おはようございます…」 「元気がないね。朝餉はちゃんと食べてきたのかい?」 「はい…」 いつにもましてテンションが高いカヲルとは対照的に、マユミはいつにもまして暗かった。原因はヒカリやアスカ達の努力もむなしく、遂に下駄箱に入っていた剃刀メールだ。 無形だった敵意が、有形になった。 その事実は、マユミの心を酷く傷つけた。喩えようもないほどに。 「どうしたんだい?まさか、誰かにひどいことでもされたか言われたかしたのかい?だったら、大丈夫。僕がついてるよ」 「そうじゃないんです。だからかまわないで下さい…」 「…君がそう言うならそっとしておくけど。 ところで、明日だね。僕はいつでも待ってるから」 それっきり黙り込むマユミから、ゆっくりと離れてカヲルは自分の席に着いた。そして誰にも聞こえない声でぽつりとつぶやく。 「いいのかい、シンジ君?このままじゃ僕は本当に彼女を落としてしまうよ。そうなってから後悔しても遅いんだけどね」 シンジとアスカ達が教室に入ってきたのはそれから数分してからだった。 場所がかわって屋上。 アスカとレイ、そしてヒカリとその他数名がお昼を食べていた。 しばらくはキャイキャイとりとめのないことを話していたが、自然とその話題は明日の行事、バレンタインデイへと移っていった。 「ねえ、アスカ…やっぱりアスカ、碇君にあげるの?」 「ちょっと、ヒカリ誤解招くような言い方はしないでよ!」 「あげないの?」 「誰もそうは言ってないでしょう。ま、まあ、長いつきあいだし、誰にももらえず落ち込むとうっとおしいからね、一応あげるわ。でも誤解しないでよ!義理よ、義理!」 「へえ、アスカったら義理しかあげないの? だったら私は自分にリボンつけて、シンちゃんに『食べて』って言おうかな?」 レイのあっけらかんとした発言にアスカとヒカリが飲みかけのお茶を噴き出した。 「ごほっ!あんた何とんでもないこと言ってんのよ!」 「綾波さん、不潔よほぉぉぉぉ〜〜〜〜!!!!」 「ちょっとヒカリちゃん、冗談よ冗談。普通に手作りを渡すってば」 「ったく、脅かさないでよね。 ……そういえばさ、あの子…どうするのかしら?」 ふと、思い出したようにアスカが呟いた。ピクンと耳を動かしてレイが何々と身を乗り出す。 「あの子って?」 「ほら、あの子よ。山岸マユミって子。ナルシスホモに口説かれてるんでしょ? しかし返事はバレンタインにお願いするなんて、相変わらずキザで嫌味な奴よね〜」 「そうよね。でも、そういうのちょっと憧れるな」 少し遠い目をするヒカリ。何を想像しているのかは謎だが、アスカとレイは底意地の悪い目をしてヒカリに詰め寄る。喩え親友であっても、色恋沙汰ほど面白いことは他にない。自分が当事者でなければ。 「馬鹿鈴原じゃ一生かかっても言えそうにないセリフだからね」 「そうそう!」 自分じゃばれてないと思った名前が出たことに、ヒカリは目を白黒させて驚いたようにアスカ達の目を見る。2人の目は底意地悪そうに笑っていた。 「ちょっと、どうしてそこで鈴原が出てくるのよ!」 「あはは、照れちゃってヒカリさんったら可愛い〜。それよりも山岸さんよ」 「あげるんじゃない?変態とはいえあいつそこそこ見栄えのする男だからね。断る理由がないでしょ。それにイジメなんて始めは激しいかもしれないけど、直に収まるわよ。収まらなかったら私がそいつらに天誅を食らわせてやるわ!」 「私は渡さないと思う」 ヒカリがぽつりとつぶやいた。その目にはわずかに悔恨の念が浮かんでいたが、お弁当を見ているアスカとレイは気が付くことがなかった。 「どうしてヒカリそう思うわけ?」 「だって、山岸さん渚君に話しかけられてもあまりうれしそうじゃないから」 「そうなの?」 「山岸さん、他に好きな人が居るんじゃないかしら?」 少し目をそらしながらそう言うヒカリに、アスカは不思議そうな顔をしていた。 贅沢なことだとでも思っているのだろう。アスカから見ても、カヲルはかなりの優良物件なのだから。それを断るだろうとは…。 何も分かってない様子のアスカとレイの姿に、ヒカリの心の中の罪悪感が大きくなっていく。 見方を変えれば、自分は親友を裏切っている…。 そう、ヒカリはマユミがいつも視線をカヲルではなく、遙かに離れた席に座るシンジに向けていることを知っていた。彼女はマユミの想いに気がついていた。 (言うべき何だと思う。でも…やっぱり言えないわ) ヒカリの発言と共に暗くなる場を怪訝に思いながらも、アスカが話題を強引に変えた。 「そう言えばさ…シンジ最近元気ないんだ」 「どうして?アスカ、喧嘩でもしたの?」 「ううん、分かんないけど先週までは普通だったけど、6日に異常に明るくなったかと思ったら、7日にはもうこっちが嫌になるくらい暗くなってるのよね。今日も元気づけようかと思って一緒に食べようって誘ってもどっかいっちゃうし」 「何があったのかな?」 「あんなシンジ見るの、初めてだから、不安なのよね…なんか遠くに行っちゃいそうで」 アスカの絞り出すような声に、ヒカリは何も言えなくなっていた。マユミの想いと同じく、シンジの想いに気が付いたから。 そのころ、シンジはマユミと2人で図書室にいた。 シンジとしては、もっと早くマユミを捕まえて色々と話したいことがあったのだ。だが、マユミの周囲には先の事件によっていつも視線が集まっており、彼が誰にも見とがめられずに声をかけるチャンスが全くなかった。 そうこうしているうちに13日。 遂にシンジは決心した。もう人が見ていても聞いていてもかまわない。でもなるべくなら人が少ないときがいい。恥ずかしいし今日はろくでもない日だから。変な所でチキンな奴である。 と言うわけで、昼休みに彼はマユミの後を追って図書室に入ったのだった。一歩間違えればストーカーのように。 しかし、不審人物手前の彼に神は微笑んだ。 図書室内には昼休みと言うこともあって、その広さの割にはほんの数人しか居らず、隅にでも行けば彼の言葉を他人に聞かれる心配はほとんどない。…ように思えた。 今を逃したら…チャンスはない。 グッパーグッパーと右手を開けたり閉じたりを繰り返し…。 (行くぞ…逃げちゃダメだ!) 「や、や、ややややや、山岸さん!」 もの凄い大声でシンジは叫んだ。 図書室奥の蔵書室で本の整理をしていたマユミは、突然後ろからかけられた声にびっくりした犬みたいに振り返った。 「はい?…碇…君」 振り返って彼女は固まった。シンジの真っ赤になった、それでいてとても真剣な顔を見たから。 シンジも固まった。目の前でマユミの顔が火をつけたように赤くなり、そして目がかすかに潤むのを見たから。 そのまま2人は無言で見つめ合っていた。 それからしばらくして。 ようやく心の整理が付いたのか、世界の全てを敵に回したような感じで、シンジがおずおずと話し始めた。無言でマユミはその一言一句を聞く。 「あ、あの、あのさ、こ、これ…ありがとう。ハンカチ貸してくれて…。ずっとお礼を言わなきゃいけないって思っていたんだ…」 「いえ…アレは私が悪かったことですから…。 わざわざ洗濯までしてくれてありがとうございます」 シンジが差し出したハンカチを受け取りながらも、マユミは失望と安堵の感情を同時に感じていた。声を掛けてくれたことは嬉しい…でも、今はそれとは違う、もっと別なことを聞きたかった。 ほんのわずかに期待をしていた。シンジが彼女にある言葉を言うことを。 「う、うん。お礼言うのは僕の方だよ。で、あのさ…」 「な、なんです…か?」 「うん、べ、別に何でも無くはなくて、えっと」 ワケの分からないことを言うシンジに、マユミはなぜか胸が高鳴るのを感じ始めていた。シンジに話しかけられたときから鼓動は激しくなっていたのだが、今は横に立っているシンジにも聞こえるくらいに、激しく胸が高鳴っていた。 シンジもマユミの胸の音を聞き、何も言えず、動けなくなった。ちらっとマユミの胸に視線を向けて、結構大きいとか思ってまた顔を赤くする悪循環。 シンジの視線に気がついたマユミはハッと顔を上げ、視線がそこで再び混じり合い、じっと見つめ合ったまま2人は動けなくなる。 キ〜〜〜ンコ〜〜〜ンカ〜〜〜ン〜〜〜コ〜〜〜ン 「…あの、もう時間ですから…ごめんなさい…」 永劫に続くかと思われた沈黙は、昼休み終了のチャイムと共に終わりを告げた。その音で呪縛が解かれたかの様に、マユミは顔を染めたまま、シンジの横をすり抜けようとする。 「待って!山岸さん!」 だがシンジは、普段の彼からはとても想像が付かない素早さでマユミの腕を掴んだ。 あまりに強い力にマユミは苦痛に呻くが、でもその苦痛が何故か嬉しい。 「い、碇君…困ります。放して下さい…」 「ご、ごめん…でも、一言だけ聞いて…」 本当は逃げ出したかったけれど、その真剣な声を聞いて、彼女はおそるおそる振り返った。 マユミが振り返ったことを確認すると、シンジはようやく吹っ切れたかのように口を開いた。よどみなく、ハッキリと。 「僕は…カヲル君に今まで遠慮していた。 アスカや綾波に振り回されるばかりで、自分の本当の気持ちを伝えることもしなかった。逃げてばかりいたんだ。 でも、僕はもう逃げたくない。この事に関してだけは逃げない。 僕…君が、山岸さんのことが、すっ…好きだ!!!」 えええええええぇぇぇぇぇっ〜〜〜〜〜〜!!!? 大爆発。 シンジが最後の言葉を叫んだとき、いつの間にか彼らの周りに集まっていた生徒達から驚きと、感心を含んだ声があがった。君たち授業はどうした? 「で、でも、碇君…」 「僕も待ってる!明日君がどっちを選ぶにしろ、僕は待ってるから!」
続劇
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